こんにちは、あおけんです。
「意識高いね」「そんなの意味ないよ」
「どうせ無理だから」、、
こんな言葉をかけられたことはありますか?
もしくは、誰かに言った記憶はありますか?
ふと、昔を思い出して、気づきがあったので、
ここに共有したいと思います。
私は、昔、サッカー少年だったのですが、
「意識高ぇな!」と言われたことがあります。
最初、どういう意味だったのか
理解できなかったのですが、なんとなく雰囲気で
「褒められてるようでバカにされてる!?」と
察していましたが、特に気にしていませんでした。
今思えば、あまりに視野が狭かったのですが
高校までは「プロのサッカー選手になる」と
当時なりには全力でやっていたし、
県選抜に選ばれていたり、大会でもそれなりの
結果を残すようなレベルでやっていたので、
「意識高い」に相当していたのかもしれません。
スパイクを磨いてると「意識高ぇな」
自主練に残ってると「意識高ぇな」
入念にストレッチやってると「意識高ぇな」
反省ノート書いてると「意識高ぇな」
・・・結果を出すために必要だと思う準備を
してる時に言われがちだったと思います。
今現在でも、「意識高い系」という言葉が
揶揄として使われていると認識していますが、
個人的には、なんだかなぁと思うわけです。
たぶん、結果を出している人は、
何かしらの「意識高い」ことをしてるはずです。
何かを達成するための行動は、
とてもカッコイイし、それが達成できなくとも、
最初から諦めて何もやらない人に
揶揄されるのは、違和感しかありません。
また、もっとストレートに、
「そんなの意味ないよ」「どうせ無理」、、
というような言葉で、未来の可能性を
否定された人も少なくないかと思います。
他人に対して、言葉として伝えずとも、
心の中では、そう思うことだってあると
思います。正直に言えば、私もあります。
で、当時は、何を言われようが、
自分が信じた道を突き進んでたわけですが、
今思えば、「そんなの意味ないよ」は
超貴重な情報だったなと思ったりします。
「なぜ、そう思うの?」って聞き返して、
素直に理詰めしていけば、
バカにされていたり、批判されていたり、
言う側がやらない自己肯定をするため
の発言で終わるのではなく、
言われた側が成長するための材料になる
可能性が十分にあったと思うのです。
要は、「一理ある」と思うのです。
例えば、サッカーでいえば、
スパイクを磨くのも、反省ノートを書くのも
素晴らしいですが、それをやってる選手が
FWなのにシュート練習をサボってたら、
「反省ノート書いても意味ないよ」と
言われても、本質はついてるなと。
さて、ここまでの話で、客観的に見えて、
大切なことに気づけるかと思います。
何かに成功するには、
正しいアプローチが必要になります。
行動には大きな価値があります。
自分で考えて行動できるだけで、
何もやらなかった人たち以上の結果は得ます。
しかし、本質的なアプローチをしない限り、
望まぬところで挫折することになります。
世の中には、めちゃくちゃ運が良かったり、
何でも1人でできてしまう、天才と呼ばれる
人が存在しますが、極々僅かです。
私は凡人ですし、きっと、あなたもそうです。
天才になれなかったことを嘆くよりも、
自分を正しく認識することに時間を割いた
ほうが、よっぽど明るい未来に近づきます。
思い返せば、ここまでの自分の人生では、
重要な気づきを与えてくれるような人には
ほとんど出会えなかったように思います。
(その点、読書は優良で格安な投資先です)
あえて言えば、勤め人だった頃の
ある上司は深い思考を持ち合わせていて、
問いを与えてくれるような人でしたが。
両親も、学校の先生も、サッカーの指導者も
会社の役職ある人も、問いを与えることは
少なく、「○○しなさい」「○○するな」
が多かったように思います。
それは、自分に対してだけではなく、
周りを見ててもそう思います。
日本の教育システムがそうなってるし、
いまだに詰め込み型教育を脱していない
から、そういう人が育つのは当然です。
かなり長文になっているので、
そろそろ切り上げますが、、
何を言いたいかといえば、
第三者が、自分のことを深く理解し、
気づきを得るように問うてくれたり、
客観性のある率直な意見を返してくれる
価値の大きさは、計り知れません。
私たちサードペンギンは、あなたの
「○○をやりたい」が報われるように
「見つけ、整え、背中を押す」役割を
担っていきたいと強く思っています。
もし、あなたが、
・やることが明確になっていない
・やり続けることができない
・身近に率直に指摘してくれる人がいない
のであれば、お気軽にお声掛けください。
少しでもあなたのお役に立てれば幸いです。
今日も最幸の1日に!